岐阜市(岐阜) 清水山(162.8m) 2020年1月2日  カウント:画像読み出し不能

所要時間 15:12 参道入口−−15:14 伊波乃西神社−−15:19 日子坐王陵−−15:34 清水山−−15:43 日子坐王陵−−15:47 参道入口

場所岐阜県岐阜市
年月日2020年1月2日 日帰り
天候
山行種類藪山
交通手段マイカー
駐車場伊波乃西神社参拝者用駐車場を利用
登山道の有無無し
籔の有無一部シダ藪があるが迂回可能
危険個所の有無無し
山頂の展望無し
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コメント里山なので登山道があるかと思ったら道が無かった山。南側山麓の伊波之西神社から往復。日子坐命御墓までは参道を登り、その先は適当に斜面を登った。同じ考えを持つハイカーがいるようで荷造り紐の目印があったので利用。尾根地形が無くタダの斜面なので目印が無いと正確な位置に下るのが困難。山頂は矮小な照葉樹が密集し展望皆無




山頂南側の伊波之西神社。かなり立派 広い参道
建物も大きい 日子坐命御墓入口。地形図通り長い石段を登る
日子坐命御墓。大きな岩が墓石? 宮内庁管理らしい
日子坐命御墓裏手から斜面に取り付く。藪は無い 浅い谷地形を登る
目印の荷造り紐登場。山頂までお世話になった 標高130m付近。恐怖のシダ藪登場だが目印はうまく迂回している
標高150m付近 標高160m付近
清水山山頂。周囲に道は無かった 標高130m付近から西を見ている。川は長良川
目印のおかげで無事に日子坐命御墓到着 伊波之西神社到着


・清水山のある付近は平野の中に独立した低山が点在する地形で、清水山もそのような位置にある里山。里に近いので普通に考えれば踏跡くらいあって当然だろう。その可能性が最も高いのが南側の神社マーク(伊波之西神社)。地形図を見ると神社の西側に日子坐命(ひこいますのみこと)御墓がありそこまで石段マークが書かれているので、そこから山頂へ道があると予想するのは間違いではなかろう。

・日子坐命とはどんな人物なのかネットで調べてみたら第9代開化天皇の第三皇子とのこと。日本書紀や古事記に登場する人物だが年代は紀元前二世紀=弥生時代の話であり、どの程度の信ぴょう性があるのか?

・もう夕方近いなので神社の駐車場に車は無し。立派な鳥居を潜ってこれまた立派な参道を歩けば立派な伊波之西神社が登場。ここは山の中ではなく里なので、山の神社とは大きさが違う。参拝してから日子坐命御墓に向かう。

・日子坐命御墓へは神社の西に付けられている道を進む。こちらも整備が行き届いた参道だ。正月らしく入口にお神酒が置かれた急な長い石段を上り、正面に鳥居が鎮座した柵に囲まれた場所が登場。ここが日子坐命御墓らしい。敷地の中央には大きな岩があり、これが墓標だろうか。鳥居の横に宮内庁の看板が立っていてここは宮内庁の管理地らしい。ということは葬られているのは名前通りに皇室に関連する人物ということか。宮内庁管理の墓地を見るのは初めてだったが、立入禁止とは書かれているものの、正面には扉が無い入口があって事実上出入り自由であった。私の場合、入る理由は無いので正面でお参りして、柵を迂回して裏に回った。

・裏には道があると予想していたが見事に裏切られた。ただし藪は薄く道は無くても問題は無い。ここ一帯は広い斜面で尾根地形が無く、浅い谷地形を登っていくと比較的新しい荷造り紐の目印を発見。特徴のない地形なので登りはいいが下りが問題だったので、この目印を利用させてもらう。

・地形図で分かるように傾斜はかなり急だが岩場のような危険個所は無く一面が樹林に覆われている。一部植林帯があるが大半は照葉樹中心の自然林だ。

・標高130m付近で山頂方向に恐怖のシダ藪が登場するが、左側はシダ藪が無いので目印と同様に左に迂回する。目印は結構な頻度で取り付けられていて、取付けるのにそれなりの手間がかかったと思う。

・シダ藪を迂回したので山頂より北西側で主稜線に乗り、平坦な尾根を南東に歩けば清水山山頂に到着。三角点とこれまで見てきた荷造り紐がぶら下がっているが山頂標識は無く、登山道や踏跡の類も全く見られない。里山だが登られることは滅多にないらしい。山頂付近もこれまで同様に矮小な照葉樹が茂って展望は皆無。

・帰りは目印を頼りに忠実に往路を戻る。この地形では読図は困難で、目印無しで日子坐命御墓へピタリとたどり着くのは不可能に近いだろう。今回は先人の目印に大いに助けられた。

 

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